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「ジャーナリズム」ってなあに?

かんがえごと 論点

ここ2年くらいでしょうかね

「じゃーなりずむ」ってそもそもなんなんやー!!!

と思うことが増えています

 

思ってはいるのですが、ジャーナリズムを学んだことも無い私が

このことについて論理的に筋道立てて考えたり、問題点を指摘して改善方法を模索したりする

なんてのは、ハードルが高すぎます

というわけで今回は

そもそも「ジャーナリズム」とは何なんだろう?ということを

ほんの少しだけ、ゆる~く考えてみよう

そんな感じでまいります

違和感の正体

(最初に補足なんですが)

『「じゃーなりずむ」ってそもそもなんなんやー!!!』と思う

と言いましても

これは、空気感とか雰囲気とか直感とかそういった感覚的な類のものでして

「違和感を覚える」といった言い回しの方が的確な気がします

 

さて、まずは理由についてみていきます

一体なぜ「違和感を覚える」のでしょうか?

それをひとことで言えば

「自分のイメージしているそれと、目にするそれの間に、隔たりがあるから」

ということになります

「ぼんやりとではあるものの、自分の考えるジャーナリズムの姿がある」

「でも、自分の目に映るジャーナリズムの姿とは、どっか違うんじゃないかと感じている」

ってことですね、少しややこしいですけど(笑)

 

次は、違和感の対象について(←こっちが先の方が分かりやすいかも)

この「違和感」は、いつ、どんな時に感じるのでしょう?

この部分に関しては、「イマ、ココだっ!」と、はっきり言うことはできません

ただ、実感としては「テレビ」と「新聞」に触れているときが多い気がしています

どちらも、今世の中で何が起こっているのか(事実)を知るためにとても貴重な媒体ですが、どうにもここのところ、伝える事実の量が減っている印象を受けます

ストレートにいうと

「報道機関であるにも関わらず、あるラインを超える事柄については報道していない」

ということですね

あるラインと表現しましたが、このラインがどのような性質のものなのか、何の影響によるものなのかについては長くなるので書きません(少し考えれば思い浮かぶとは思いますが笑)

代わりと言っちゃなんですが

個人的に印象に残っている出来事をいくつか挙げてみます

①2013年末、特定秘密保護法の審議が行われていた期間のNHK国会中継の有無

②昨年(2014年)末の総選挙に関する報道(量、質ともに)

③年明け(2015年)に起こったイスラム国と名乗る武装集団による人質事件の一連の報道

一つ一つの説明はしませんが、国や権力からではなく、国民(市民)側の視点からみたときに、疑問符の付くことばかりでした

ここに挙げたものだけが特別なわけではなくて、日頃のニュース番組の内容を継続して見ていると、「あれ?何か前と変わった気がする」と感じることはしょっちゅうです

 

ここまで、個人的な「違和感」について振り返ってみました

これを読んでいる方はどうでしょう

日頃目にしている報道について、少し振り返る機会にしてもらえたらうれしいです

 

ここからやっとこさ本題です

ジャーナリズムの定義

ジャーナリズムの言葉の上での定義、一般的な定義をいくつか調べてみました

ジャーナリズム(Journalism)

 Wikipedia

日本以外において報道姿勢、報道活動、報道機関やその業界のことを総括した意味をもつ言葉である。

ニュースを収集し、選択・分析を行い、世論形成や定期性などの諸要素を鑑みて、論評・解説を、継統的かつ定期的に流布する過程(時には一回限りの行為)のことである。

 Hatena Keyword

報道精神。

時事的な題材を扱うにあたっての考えかた、あるいは規範。

時事的な題材を扱うメディアそのものを指す場合もある。

メディアが時事的な内容に関して報道や解説する活動

 goo辞書

新聞・雑誌・ラジオ・テレビなどにより、時事的な問題の報道・解説・批評などを伝達する活動の総称。また、その機関。

ざっとこんな感じです

ごちゃごちゃ書いてありますが、なんとなく雰囲気は掴めそうです

簡単にいうと、報道に関わる上で重要なもの、のようですね

報道という言葉の意味も、一応確認しておきましょう

報道(Report)

 Wikipedia

ニュース・出来事・事件・事故などを取材し、記事・番組・本を作成して広く公表・伝達する行為であり、言論の一種である。報道を行う主体を報道機関という。報道の媒体をメディアと呼ぶ。

報道は社会的に非常に大きな力をもっており、「立法」「行政」「司法」の3つの権力にこの「報道機関」を加え、「第四権力」とも呼ばれる。

 Hatena Keyword

主にマスコミ(マスを対象にした情報提供をもっぱらにしているシステム)により提供される、事実もしくは事実と思われるものについての情報提供。

 goo辞書

新聞・ラジオ・テレビなどを通して、社会の出来事などを広く一般に知らせること。また、その知らせ。ニュース。「―の自由」

結局ジャーナリズムとはなんなんじゃい(結論)

結論にいく前に、少々寄り道をしたいと思います(笑)

 

少しだけでいいので想像してみてください

テレビや新聞、ネットや書籍といった

ニュースや知識を得る為に必要な手段が存在しない世界を

もしそんな世界に放り込まれたら一体どんなことが起こるのでしょう

頭の中にイメージしてみてください

仮にそうなった場合

どうやら私たちは、「実際に自分が経験したこと」からしか、何かを知ることが出来なくなりそうです

 「今、自分の住む国ではどんなことが起こっているのか、外国で何が起きているのか」というニュースも知ることが出来ませんし、「過去にどのようなことを経て今があるのか」といった歴史も知り得ません

「本を読んで色んな知識や考え方を学ぶ」なんてことも無理ですね

当然、「今日の国会でどんなことが話合われ、何が決まったのか」とか、「よその国で大規模な災害が起こって何人怪我した」とか、そんな細かいこと分かるわけがありません

そして、「A国にあるBという街は治安が悪いから気を付けたほうがいい」、「C国は内戦状態だから、いま行くのはとても危険だ」

このような情報を手に入れることも出来ないでしょう

 

それからもう一つ、想像してもらいたいことがあります

テレビ、ラジオ、新聞、出版物、インターネット等の情報を手に入れる為の手段は今と変わらず存在しており、多くの人がそこから情報を得ている

しかし、実はそこから得られる情報の大半は事実と異なっており、見ている側はそれが嘘だと気付かぬまま毎日を過ごしている

そんな世界です

「テレビのニュース、読んだ本に書いてあったこと、新聞に載っている記事、それらのほとんどが嘘で、そこから得た知識のほとんどが間違っているのに、私はそれに気付くことさえ出来ない」

そういうことです

 

「知る手段がない」「手段はあるけど嘘だらけ」

皆さんはどんな感想を持ったでしょうか

私はどちらも、とても怖い、です

 

二つのちょっと現実離れした例を挙げましたが、今の現状は違いますよね

私たちは、自分がその場に出向いて実際にそれらを見なくても、色んなことを知ることが出来ています

そして、その内容はほとんどが事実のはずです

 

それは何故か

自分ではない他の誰かが、代わりにその場に行き、そこで見たこと感じたこと聞いたことを、私たちに伝えてくれるから

ではないでしょうか

ここにジャーナリズムの本質があるのではないか、私はそう考えています

 

私たち市民の代わりにそこで起こっていることを伝えるわけですから

その内容が事実と異なっていては話にならない

これは言うまでもないでしょう

だからジャーナリズムは「事実」を伝えなければならないのです

それと似たような話で

報道は中立・公平公正でなければならない

という議論があったりしますが

それを決めるのは

まずは報道する側(ジャーナリストと呼ばれる人たちや放送局自身)

そしてその次、最終判断を下すのは

報道を受け取る側(市民社会の側)の人間です

 (統治権力側が「中立じゃないじゃないか」などと文句を言うなんてことは筋違いであり、間違っても、ジャーナリズムに対して権力を振りかざし、それに対してジャーナリズムが屈するなんてことが起こってはいけません)

 

元を辿ればとても簡単な話です

 

 

そもそもジャーナリズムとはなんなのか

寄り道が長くなってしまいましたが、結論にたどり着けそうです

 

これまで書いたことを踏まえ、自分なりにまとめると大きく分けて二つになります

一つは

市民社会に対して、番組(テレビ、ラジオ)・記事(新聞、雑誌)・インターネットなどの媒体(マスメディア)を使い、世の中で起こっている様々な出来事を事実として伝える

その際に客観的な分析、様々な見方や意見も付け加え、出来るだけ多くの人(大人から子供まで幅広い年齢層の人)が理解できる形で分かりやすく発信する

もう一つは

権力に対して緊張関係を保ちつつ、その動向を注視・監視し、暴走を未然に防ぐ

 

簡潔にまとめれば以上の二点です

 

それと

民主主義社会において、ジャーナリズムが果たすべき社会的責任は非常に大きい

という面も、付け加えておく必要があるかもしれません

さきほど、"現実離れした" と言って挙げた例がありました

あの例の二つ目

「知る情報のほとんどが事実ではない」というのは

実は、そう現実離れしていると言えるものではありません

ほんの70年前の日本は、まさにあの"現実離れした"ような状態だったという事実があります

翼賛体制の名のもと、当時の新聞・ラジオはジャーナリズムとしての機能を果たさなくなり、結果として当時の国民は、事実を曲げた報道・日本にとって都合のいい情報ばかりを目にしなければならなくなりました

事実を知るのは天皇や軍部といった権力側ばかりで、一般の国民は洗脳されたような状態だったわけです

「あの時、ジャーナリズムが本来の役割・責任を果たしていたら・・・」

なんてことを考えてしまいそうになりますが、ジャーナリズムを取り巻く環境が現在とは大きく異なっていたのも事実ですから、あれこれ言うことは出来ません

 

重要なのはこの事実から何を学び、活かしていくかです

ひとたびジャーナリズムが権力に取り込まれてしまうと、危機的な状況が訪れ、取り返しのつかない事態になることが、現実に起こり得るのだ

という認識を持つことは大切だと思います

 

 

 

「果たして、今、この日本に、ジャーナリズムは存在しているのか」

 

そんな問いかけを自分に投げかける意味もあって、ながながと書いてきました

ほんの少しゆる~くとか言いながら、それに思いっきり逆行してしまった感がありますが、最後までこれを読んでくださった方はどう考えるでしょうか

「そんなこと考えたこと無かった」という人には、少し考えを巡らすきっかけにしてもらえればいいかなあと思いますし、「こんなこと知ってるよ」という人は、放送法なり記者クラブ制度なりもっと踏み込んだ内容について考えてもらえればいいかなと思います

 

(私自身は、とりあえず、勉強します

あまりにも知らないことが多いということを改めて実感したので・・・。)