読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

2015.6/27 戦争法案に反対するハチ公前アピール街宣(スピーチ書き起こし)

6月27日土曜日、東京・渋谷のハチ公前で、学生らが主催して「戦争法案に反対するハチ公前アピール街宣」が行われました。

世代や立場関係なく色んな人たちが集まり、学生や国会議員の人たちがそれぞれの思いを言葉にして話をしました。

偶然あの時あの場所を通りかかった人たちにも、きっと何か影響を与えたんじゃないかなあと思います。

 

今回は、色んな人がスピーチをした中でとてもいいスピーチがあって、たくさんの人に知ってもらいたいなと思い、内容を文字に書き起こしてみたので、記しておきます。

是非、動画を流しながら文字を追ってみて下さい。

必ず響いてくるものがあるはずですよ~。

学生のスピーチ①(ミキ さん)

いきなり「戦争」だなんて、「大袈裟だ」とか「またか」とか思う人が居ると思います。

でも私は、怒り狂っているわけでも、馬鹿の一つ覚えみたいに反戦を叫んでいるわけでもありません。

確かに、私は怒っているけど、どうにかそれをぐっとこらえて、怒りをこういう形に変えて、話を聞いてほしくてここに来ています。

少しだけ、足を止めて、話を聞いてください。

 

日本は今年、戦後70年を迎えました。

「戦争はいけない」

そんな当たり前のことを訴えることが当たり前になり過ぎて、いつしか日本人にとって、戦争は「どこか野蛮な国の人たちが行う、違う世界の出来事」と、なっていったのかもしれません。

そして戦争は、「悲しい、泣ける、物語」になっていきました。

最近はよく、志半ばで亡くなった人の悲劇のストーリーが映画化されるけど、あれは、「美談」なんかではありません。

日本人が、かつて行った侵略戦争で人々は、「憎んで殺し、殺される、論理」の中にいました。これは「悲劇」以外の何物でもありません。

だけど、今の「生活」と、この「物語」とがあまりにかけ離れ過ぎて、「まさか日本人が戦争なんてしないだろう」と、いつの間にか私たちは思い込んでしまいます。

だけど、戦争は、「70年前だから」起こったんでしょうか?

今の私たちだって、目の前に武装した兵士が現れたら怖いし、突然家族が殺されたら、憎しみを抱きます。

ISILの人質殺害事件の時のように、自らの安全や利益の為に、自己責任論と言って「他人を切り捨てろ」という世論も生まれます。

今起こっていることは、今起こっている戦争は、決して「中東だから」「アフリカだから」という理由で、起こっているわけではないんです。

それぞれの「信ずる正しさが違っている」だけで、大切な人や自らが攻撃された時、恐怖を覚え憎しみを持つ気持ちに、きっと変わりは無いはずです。

そうして人々は武器を持ち、「自衛の為」に戦って来たのでしょう。

今の日本があるのは、別に、日本人という種族が優秀だったわけでは無い。

私たちの持つ、人を憎んだり、恨んだり、そういう「負の感情」を放っておくと簡単に争いが起こるから、何百年もかけて世界の人々は、暴力的な感情との付き合い方や折り合いのつけ方を、繰り返し反省し、話し合って、ようやく、いくつかの「約束事」として、形にしてきたのではないでしょうか?

その積み重ねの最たるものの一つが、「日本国憲法」です。

そうやって、戦争の恐ろしさを受け継ぎ、平和な世の中を積み重ねていった人々がいたおかげで、今、丁度、「戦争をしない日本」に、私たちは生まれました。

だから、歴史上の今の日本だけを切り取って、「武器を持ち、戦争に絶対参加しない」なんて、そんな理性的でいられるなんて、簡単に確信を持てません。

一度戦地に行けば、幾らでも戦争のきっかけはうまれ、「やり返せ!」と私たちの感情に訴えて来るはずです。

私たちがすべきことは、その積み重ねを、「時代が変わったから」と言って、簡単に捨ててしまうことなんでしょうか?

捨てることは簡単かもしれないけど、私は、先人たちの志向(思考)した歴史を、ないがしろにしたくはありません。むしろそれを活かして、犠牲のない世界をつくれると、信じたいのです。

ばかな理想主義者かもしれないけど、その理想を掲げたい、と思うのです。

戦争に参加するなら、武器を作って売るのなら、「人を殺す」という、「自覚」と「覚悟」が必要です。

私には、その責任は、とても重く感じられます。

だけど今、そのことについて、本当によく考えられているでしょうか?

日本だけが、イラク戦争について、検証も反省も、していません。

それは「(自分たちがするのは)物資の支援だけで、多くの民間人が犠牲になったことについて自分たちには関係無い」という、自覚のない参加をしたからではないでしょうか?

今、安倍政権は、「後方支援」と言って、また覚悟の無いまま、戦争に参加しようとしています。

「自分は、本当に悪いところには手を付けていない」と思って、その責任の重さに目を背けています。

まずは過去から振り返って、その責任に向き合うべきでしょう。

テロリストたちは、どうしてテロリストになったのでしょうか?

彼らの多くは、報復を目的としています。

それは、戦争が原因だったり、社会への不満があったりします。

日本は、そんな社会づくりに、加担していなかったでしょうか?

協力したアメリカの政策に、落ち度は無かったでしょうか?

本当に向き合うべきなのは、テロリストを生み出した、今の世の中です。

テロリストは残酷で、武力に頼っていて、彼らもまた、悲劇をもたらします。だから、私は、彼らも許せません。自分たちの正しさを押し通す為に、武力を用いる彼らを、私は許せません。

だけど、だからこそ、何があっても、もう武器を持って、戦争をしてはいけないはずなんです。

9.11以来、対テロ政策として、武力行使が正当化されてきたけど、何があっても、どの国の人も、アメリカ人兵士の犠牲さえも、許されるべきでは無いはずです。

何故なら戦争は、また、憎しみを生み出し、武力の応酬は何の解決にもなりません。

これ以上の連鎖を止める為に私たちは、自ら、その「負のサイクル」から、降りるべきだったのです。

聞き慣れた言葉かもしれないけど、聞いてください。

「戦争は、人を、傷付けます。」

「子供や未来を、傷付けます。」

「戦争は、街や人を、破壊します。」

70年間言われ続けた、戦争の恐ろしさを伝える言葉たちに新鮮さを感じなくなって、ないがしろにするようになっていませんか?

どうか想像してみてください。

「戦争の恐ろしさと、過去の過ちから目を逸らし、武力行使を正当化する私たち」と「戦争の恐ろしさを反芻して学びながら、過去を悔いて、武力行使を放棄する私たち」

それぞれの道の先には何が待っているのか、を。

私たちはかつて、後者であったはずで、そしてこれからも同じ選択をしていきたいのです。

 

私は、長い長い紛争で何が傷付いたのかその一端を、この目で見て、知っています。

3年前

生きる為に、親元を離れて治療をする、アフガニスタンの子供たちに出会い、数ヶ月を、ともに過ごしました。

アフガニスタンでは、長い紛争によりインフラが破壊され、国内では簡単な治療も受けられない状況にあります。

亡くなる子供も少なくなく、治療をしに来られる子はまだ幸運な方であると言えます。

怪我や病気があっても彼らはとても元気で、尊重されるべき命で、決して可哀想な存在ではありません。

手足がなくても、顔に火傷を負って差別されても、子供たちは助け合い、大抵の事は自分たちで出来るようになります。

けれど、「時間」はそうはいきません。

もっと色々な経験が出来たはずの時間が、治療やリハビリに費やされています。そして、大切な成長期に親元に居られないことや、恐怖や憎悪の記憶は彼らの心に、しっかりと刻み付けられているのです。

怪我や病は、確実に、彼らの可能性を奪っています。

これが、これこそが、「報復戦争の結果」で、「戦争の現実」に他なりません。

子供たちが、あんな思いを今しているのは、「アフガニスタン人だから」では無く、憎悪にかられた武力行使のせいでしょう。

それさえ無ければ、彼らがあんなに苦しむ必要は無かったでしょう。

私が出会った子供たちの人生は一つの物語でもないし、美談でもありません。

アフガニスタン人が傷付くことは普通じゃないし、そんなことはあってはならないんです。

彼らがこれ以上傷付くことを、私は許せないし、日本人がそれに加担し、私自身がその責任を背負いながら、彼らにまた、どう向き合っていけばいいのか、分かりません。

だから、こういう現実を見たからこそ、私は、理想を掲げ続けたいのです。

「戦争は無くせる」という理想を、掲げ続けたいのです。

その一歩を、日本が、日本こそが、踏み出せると信じています。

きっと、一人目の日本人犠牲者が出たら、その憎悪が拡大していくのはあっという間でしょう。

国の政策も、国民の感情も、歯止めが利かなくなります。

今、もう既に、様々な犠牲の上に、私自身生きているけれど、もうこれ以上の犠牲の上に生きることを、ここでやめましょう。

この法案が通って、初めの自衛隊員が亡くなる前に、又は、自衛隊員に人を殺させてしまう前に、こんな馬鹿げた話し合いを、終わりにしましょう。

私がこの法案に反対するのは、日本に「普通の国」になってほしくないからです。

アフガニスタンにいる小さな友人やその家族を、日本人が、日本人の作った武器が傷付けることに、私は耐えられません。

この国の平和と、国民の生命を守る為に、友人やそのまた友人が、戦地で傷付くことに、私は耐えられません。

「やられたらやり返す」「やられる前にやる」、そんな報復合戦に参加し、これから先も誰かの犠牲の上に自らの平和が成り立っていくことに、私は耐えられません。

私たちの憲法は、今在る「普通の国の、その先へ」行くことが出来る、先進的で素晴らしいものだと、信じています。

「徹底して武力行使をしないこと」こそが、世界の平和と安全を形創るものだと、信じています。

 

今、実は反対しているのに、声を上げていない人が、私の周りにはたくさんいます。

そういう人たちに聞いてもらいたい。

犠牲者が出てからでは、遅いんです。

福島の原発事故で、このことを痛いほど、私たちは突き付けられました。

法案が通って人が亡くなった時、「だから、そうだと思ってたんだ」と、「僕の・私の、思っていた通りになった」と優越感に浸るんですか?

反原発を長年訴えてきた先生は原発事故以降、「間に合わなかった」と、肩を落としていました。

そんなことを、また、繰り返すんですか?

声を上げるなら、「今」です。

SNSで「いいね!」が増えても、安倍さんに危機感を持たせることは、出来ないでしょう。彼は、彼の人生における大きな使命を、今、全うしようとしているのです。

私たちも、それに見合うだけのエネルギーを、注がなくてはいけません。

国会前に、集まってください。

デモで、一緒に歩いてください。

想像力の乏しい首相には、「実体」で「反対の姿勢」を見せなくては、「私たちの意志」は伝わりません。

「忙しいのに、わざわざ来る」からこそ、意味があるんです。

「疲れてるけど、行かなくては!」と思う、そのエネルギーに、驚くのです。

彼も、私たちと同じ人間ならば、何万・何十万の人が集結したその事実に、向き合わずには、いられないでしょう。

私たちが、反対の意志表示にかけたそのエネルギーを目の前にして、無視せずにはいられないでしょう。

「憎悪の連鎖」を「私たち自身」が、止めましょう。

「過ちは繰り返さない」と、70年前の犠牲者に私たちは誓ったはずです。

「私たち」なら止められる。

「私たち」が止めるんです。

 

2015年6月27日

私は戦争法案に反対します。

学生のスピーチ②(福田 和香子 さん)

先週の金曜日、毎週行われている国会前での抗議活動の様子が「報道ステーション」によって全国へ届けられました。

そこには、それぞれの思いを込めたプラカードを手にした、私の仲間たちの姿が映っていました。

私のスピーチも取りあげられていて、その場で口をついて出てきた言葉をそのままマイクに繋いだ、そんな姿に多くの反響がありました。

続々と届く、友達からの「報ステ見たよ!わかこ凄かったね!」って言葉に、頬を緩ませたのもつかの間、インターネットの狭いようでとても広い世界の隅っこでは、思わず画面を閉じたくなるような、罵詈雑言の羅列がなされていました。

そんな人たちを尻目に、私は今日も、ここに立つことを決めました。

何故なら、私は、本気だからです。

 

私が、皆と同じ制服を着て、毎日同じ方向に向かって座って勉強していた頃に、空気の読めない人のことを指す「KY」という言葉が流行りました。

その場にそぐわない発言をすると、どうやら、それに値するらしく、しかしその他の、どの「流行り」とも同じように、いつの間にかそれは死語になっていて、私だって最近、その言葉が流行っていたことすら忘れていました。

しかし路上に出るようになって、最近になって、やっと気が付きました。

場にそぐわない発言をする者が、空気の読めない人なわけじゃないんです。

どうやらこの国では、「意見を持つ行為そのもの」が、「空気が読めない」ってことになってしまうらしいんです。

これって、どう考えたっておかしいですよね?

少しでも真面目に聞こえるような話をすると、「ねえ、重たいからやめてよ」って、「私はどうだっていいけど、あなたがこう言うなら、じゃあ私もこうするわ」って、同じ衣服に身を包むことをやめたとき初めて私は、「この国の人がとても臆病であること」に気が付きました。

アウトサイダーにはなりたくなくて、時には、自分その脆さを隠すが為に、社会的弱者に牙をむく」そんな人間の溢れかえった社会は、例に漏れず独裁的で、そして、例外的に頭の悪い権力者を生み出すこととなりました。

 

特定秘密保護法」が成立してから二年

集団的自衛権」の行使容認がなされてから一年

今、私たちは、政府が新しく作り出そうとしている「安保法制」に対して、声を上げています。

巷では、「戦争法案」と呼ばれるこの法案。

「戦争なんて、非現実的だよ」って、私も、もう何百回と言われました。

しかし、自衛隊の活動範囲が広がり、「後方支援」という名の下、他国の戦争に参加することが可能になる。

「自分には関係無いわ」って、すました顔をしていられるのも、今のうち。

多額の奨学金、数百万にも上る事実上の借金を抱え、就職難と言われる中、社会に出ていく若者たちを「経済的徴兵制」によって戦地へ送り込む。

それはきっと、そんなに難しい話じゃ無いはずです。

私はもちろん、戦争経験世代でもなんでもないけれど、その世代がここまで繋いできた、平和と呼ばれる日常の中で、生きてきました。

70年間、日本は、どこの国とも戦争をしてこなかった。

どんな目の色の、どんな言語を喋る人にも、銃口を向けるような真似はしませんでした。

戦争がいったん始まってしまえば、今まで常識だったものは、そうではなくなります。

「人殺し」は「正義」とされ、流した血の量が多ければ多いほど、それは「勲章」として讃えられるでしょう。

自衛隊が、徴兵された若者が、日本人としてどこかの国へ出向き、銃弾を放つことで、何にも拭い去ることの出来ない憎悪は、彼らの血の中を流れます。

 

お隣の国、韓国に対し、ヘイトスピーチを繰り返す人々がいます。

彼らは何度でも繰り返します。

日韓条約で、かたはついているじゃないか」、「我々は既に、経済的な謝罪は済ませたじゃないか」と。

そうじゃないんです。

戦争が終わるときは、その国のお偉いさんが、何かよく分かんないような薄っぺらい紙に調印した時では無いはずです。

私は、二ヶ月ほど前に、辺野古に行きました。

座り込みを続ける彼らの中に、米軍の車輌が通るたびに、むき出しの敵意を言葉にする人たちがいました。

私は最後まで、その感情を共有することは出来なかったけれど、それが私が唯一見た、戦争の遺した爪痕でした。

被害を被った側の許しを得るまでは、血は流さずとも、戦いは続きます。

「70年前にうみ出したその過ちを払拭することの無いままに、戦前への道を踏み込もうとしている。そんな現政権に対し、警鐘を鳴らす。」

これが今の私に出来る、唯一の、先の大戦での犠牲者への弔いだと思っています。

 

ただの大学生が、ただの一人の女が、土曜の渋谷で、こんな場所で、マイクを握る。

「ただの一国民で、まだまだ若いお前に何が出来るんだ?」って、何度も何度も言われて来ました。

「最近の若者はね」って、何か分かっているふりをして諭ってくる大人の声も、聞き飽きました。

もちろん、私は、まだ何者でもありません。

しかし、だからこそ、今持ち得るすべての可能性や、不透明な未来を、一時の頭の悪い権力者などに奪わせるわけにはいかないのです。

怯え続けることを、すまし顔を続けるのを、もう、やめにしませんか?

平和と言われるこの日常の中で、何もかもが用意されている中で、私たちは気付かぬうちに、「想像力」への敬意を失いました。

今在るもの全ては、いつの間にか気付かない間に、一瞬にして消え去ることができるんだって、そんなことすら忘れきって、もう70年間が経ってしまいました。

無関心だった大人たちを責めるつもりはありません。

ただ、もう、これ以上、素知らぬふりを続けないで下さい。

相手は、たとえ立憲主義を理解していなかろうが、ポツダム宣言読んだこと無いって言ってようが、権力者であることには変わりありません。

私や、私の仲間が、こうしてこの場所に、こうやって立つことで、どれだけのリスクを背負っているか、きっと想像に難くないはずです。

けれど私は、こうすることで、私自身が背負いこむリスクよりも、現政権に身を委ねた結果訪れる未来の方が、よっぽど恐ろしく思えるのです。

もう、他人事ではありません。

全ての国民が当事者です。

想像力を棄て、目先の利益に囚われ、独裁的な権力者に首を繋がれた

そんな奴隷になりたいですか?

私は、今自分の持つ、すべての可能性を懸けて、この法案を、そして安倍政権を権力の座から引きずり降ろします。

そうすることでしか、私の望む、そして、受け容れるに相応しい未来が、やって来ないからです。

四年前の震災で、私は、被災こそしなかったけれど、それが私にとてもたくさんの事を教えてくれました。

国や権力は、助けてくれないんです。

どれだけ困ってたって、黙ってたら手を差し伸べてくれるわけじゃないんです。

「ただそこに座ってたら、何か素晴らしいことがやってくる」、そんなのはただの幻想でした。

身を危険にさらして行動したからといって、必ずしも、自分の望むものが手に入るとは限らない。

けれど、そうすることで、もしそこに残り1%の可能性でも残っているのなら、私は全てのリスクを背負って、声を上げることをやめません。

そして、そういう同じように思ってくれる人が、一人でも多くいてくれることを、心の底から願っています。

 

2015年6月27日

私、福田和香子は、戦争法案に反対します。

 

書き起こしは以上です。

ここで紹介した以外の学生によるスピーチもありましたし、国会議員の人たちの話もありました。

全部見たい人はこちら⇒( http://twitcasting.tv/makomelo/movie/179563140 )

YouTubeの動画をもう少しだけ貼っておきます。

学生のスピーチ③(本間 信和 さん)

佐藤 あずさ・八王子市議会議員

 

色んなひとの言葉を聞いて

あなたは何を思ったでしょうか。何を考えたでしょうか。

たまには、ひとりになって自分自身と向き合う

そんな時間を作ってみてもいいかもしれませんね。