読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

2015.7/10 戦争立法に反対する国会前抗議行動(スピーチ書き起こし)

書き起こし

学生のスピーチ (もえこ さん)

私たちは、戦争を知らない世代です。

言ってみれば、国民の多くが戦争を知らない世代であり、安倍総理もそうでしょう。けれど、70年前に終わった過去の話として、「戦争」を自分たちから切り離してもいいのでしょうか?

 

今年の3月、私は、アウシュビッツ強制収容所を訪れました。

ナチスホロコーストで殺された600万人の内、150万人が虐殺されたと言われている場所です。

最初、150万人という数字が、私にはどうしてもぴんと来なかった。

あまりにも膨大過ぎて…。

でもアウシュビッツに残された、山のように積みあがった靴や鞄、眼鏡をみたときに、あっとなりました。

この一つ一つに持ち主がいて、泣いたり笑ったり、日々の生活を一生懸命生きていたということ。それが、実感を伴って押し寄せてきたのです。

そして思いました。

アウシュビッツは、私たちにとって決して遠い場所ではない、と。

ヒトラーナチス、そしてそれを支えた多くの人々が狂っていたわけじゃない。その人たちだってきっと、泣いたり笑ったりしていた、いわゆる「普通の人間」だったはずです。

相手が自分と同じように痛みを感じる人間であるのを忘れてしまったとき、そして、一人ひとりが考えることをやめたときに、人は、きっと誰でも、簡単にああなりうるのです。

戦争もホロコーストも、私たちにとっては遠い昔の話のように感じられるかもしれない。けれど、自分と切り離して考えることは出来ないはずです。

考えることをやめたとき、誰でも人は「怪物」になり得ます。

帰って来て、ヘイトスピーチなど些細な憎しみが巷に溢れ返っている日本社会を見て、私は改めて怖くなりました。

あの頃、ナチスを支持せざるを得なかった、ナチスに抗えなかった人々は、良心の痛みよりも、自分の日々の生活を小さな幸せを優先して、考えることをやめました。

それはきっと、そうしないと生きていけなかったから。

でも今、私たちには、「嫌なことは嫌だ」と言う自由があります。

私たちにとって「政治」は「生活の一部」であり、自分の日々の小さな幸せを考えることこそが政治を考えることにも繋がっているのです。

何度も言われたことかもしれません。でも、何度だって言います。

「政治は、私たちの生活そのもの」です。

 

戦争法案は若者の問題だから」と最近よく耳にします。

確かに、実際戦地に行くことになるのは私たちの世代であり、その子供たちでしょう。でもこれは、私たちだけの問題じゃない。

この社会に生きる人々みんなに関わる問題であり、私たちは皆、当事者なのです。

 

ある教授が言いました。

「政治家は人間の生きる可能性を広げる為のものだ」と。

戦争法案は、この理念とかけ離れた真逆のものだと思います。

私は、人の痛みに無自覚な人間になりたくない。思考停止もしたくない。

でも、この法案が通ってしまったら、いつか人の痛みに無自覚であることを強制される、思考停止することを求められる世の中が来るんじゃないか、そう思っています。

そのような世の中、すなわちそれは、「戦争」です。

 

私たちは今、大きな岐路に立っています。

平和を考える上でも、立憲主義を考える上でも。

このような形でこのまま法案が通ってしまったら私たちは、本来国家が一番大切にしないといけないはずの「立憲主義」、そして「民主主義」を、永遠に失うことになるかもしれません。

だから声を上げるのです。

「大袈裟だ」「何の意味も無い」と冷笑する人もいるでしょう。

けれど私は、思考し、自らの意志で今日ここに集まった一万人の、一人ひとりの人間の力を信じています。

本当に止めましょう。

2015年7月10日、私は戦争法案に反対します。